番外:久能山東照宮

1616年の徳川家康が死去した際にその墓所として造られたという久能山東照宮を見学した際の様子。境内の建造物等
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番外:久能山東照宮

日光街道とは関係ありませんが、日光街道の目的地である日光東照宮と関わりの深い久能山東照宮を見る機会があったので、番外編として書き足しておこうと思います。

1616年、晩年を駿府で過ごしていた徳川家康が死去した際に以下の遺言を残したと言われています。

「遺体は久能山におさめ、(中略)一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神としてまつること。そして、八州の鎮守となろう」

「八州の鎮守」とは「日本全土の平和の守り神」であり、家康は徳川幕府の安泰と日本の恒久平和を守ろうとしたということです。

そんな久能山には日光東照宮ほど大規模ではありませんが、数々の豪華絢爛な建造物が残されていました。

久能山東照宮へのアクセスは、海側から石段を登る方法と日本平からロープウェイで渡る方法があります。

今回はあいにくの雨だったためロープウェイを利用しましたが1159段あるという石段も登ってみたいですね~

ロープウェイの久能山駅を降りるとすぐに社務所が見えて、ここで拝観料500円を支払います。

鬱蒼とした森の中に続く石段を登っていくと正面に見えるのが楼門。
楼門の裏手には家康公の手形が置かれているのですが、合わせてみると予想以上に小さくてビックリです。

楼門をくぐって進むと正面に唐門、左右に鼓楼と五重塔跡があります。

配電の隣に建つ日枝神社

1617年築造といわれる拝殿は、久能山東照宮の中で最も重要な建物。江戸時代初期の代表的な建造物だそうです。

拝殿のさらに奥に進むと家康公の墓所である神廟があります。
高さ5.5m外回り8mの石造りの塔の中に家康公の御遺骸が納められているそうです。

神廟の裏手にはひっそりと家康公の愛馬の墓もありました。

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