日光街道探訪記

日光街道を自転車で旅したツーリングレポート。旧街道の地図や宿場の現在の様子など
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日光街道探訪記の記事一覧

旅の始まりは日本橋

かつてローマ帝国全盛の頃、世界各地の道がローマに通じていたといわれたことから、物事が中心に向かって集中することを「すべての道はローマに通ず」といいますが、日本の道がどこに通じているのかといえば「日本橋」です。

徳川家康の命の元、江戸時代に行われた全国道路整備事業で作られたのが、「東海道」「中山道」「甲州街道」「奥州街道」「日光街道」の五街道、そのすべの道の起点となったのが日本橋であり、現在でも東京都の道路元標があり日本の道路の起点となっています。

そんな日本の中心的な場所、日本橋から日光街道ツーリングはスタートします!

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日本橋から千住宿へ

日光街道は、日本橋三越の前を中央通りに沿って北上していきます。
ちなみに三越のもともとの名称は越後屋、そして開祖は三井家、その二つをあわせて三越となりました。

さらにその隣には、これまた立派な造りの三井住友銀行があり、そちらも前身は三越に併設された両替商、そしてその隣に新しくできたのが日本橋三井タワーと、この辺りは完全に三井村なんですね〜

お財閥強し!

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千住宿から草加宿へ

千住大橋を渡り芭蕉もここから旅を始めたのか〜、と一人感慨にふけっていると程なく千住宿に到着となります。

現在の日光街道は足立市場入口交差点を左へカーブしていきますが旧道は真っ直ぐ進みますのでそちらへ。すると足立市場の壁面に「千住宿 奥の細道」と書かれているのが見えてきます。

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草加宿から越谷宿へ

かつての日光街道草加宿は、現在では市役所通り・草加中央銀座・住吉・六丁目と4つの商店街となって繋がっています。

草加宿は江戸から四里二十町(17.9km)・千住から二里十二町(9.2km)、人口約3600人、総家数約700件(本陣×1・脇本陣×1・旅籠67)を有する日光街道で2番目の宿場町です。

草加の周辺はもともと沼地だったのですが、大川図書(おおかわずしょ)という人がそれを地埋め立て、それまで大きく東に迂回していた奥州街道をまっすぐにする新道を開いたといわれています。

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越谷宿から粕壁宿へ

越谷宿は江戸から六里五町(24.1km)・草加から一里二十一町(6.2km)、人口約4600人、総家数約1000件(本陣×1・脇本陣×4・旅籠52)を有する日光街道で3番目の宿場町です。

六斎市の立つ町として鎌倉時代の頃から栄えていた越谷宿は、現在の越谷市中心部から元荒川の北側北越谷近辺までを指し、当時は北越谷周辺の方が栄えていたそうです。このため本陣や脇本陣も北越谷周辺にありました。

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粕壁宿から杉戸宿へ

粕壁(春日部)宿は江戸から八里二十七町(34.4km)・越谷から二里二十二町(10.3km)、人口約3700人、総家数約800件(本陣×1・脇本陣×1・旅籠45)を有する日光街道で4番目の宿場町です。

江戸時代には、古利根川を利用してた米麦などの物流の拠点として栄え、松尾芭蕉が「奥の細道」で最初に宿泊したといわれている宿場町です。

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杉戸宿から幸手宿へ

杉戸宿は江戸から十里九町(40.3km)・越谷から一里十八町(5.9km)、人口約1700人、総家数約360件(本陣×1・脇本陣×2・旅籠46)を有する日光街道で5番目の宿場町です。

古くから利根川の渡しがあった場所で、杉林が多かったことから「杉の渡」と言われ、それが「杉戸」になったといわれています。

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幸手宿から栗橋宿へ

幸手宿は江戸から十一里二十八町(46.2km)・越谷から一里十八町(5.9km)、人口約4000人、総家数約1000件(本陣×1・旅籠27)を有する日光街道で6番目の宿場町です。

かつては日光街道と御成道との合流点として賑わった宿であったそうです。

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栗橋宿から中田宿へ

栗橋宿は江戸から十四里十四町(56.5km)・幸手宿から二里二十二町(10.3km)、人口約1700人、総家数約400件(本陣×1・脇本陣×1・旅籠25)を有する日光街道で7番目の宿場町です。

利根川の船渡し(房川渡し)の町として栄え、北側に対する警備の要所として関所が設けられていました。

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中田宿から古河宿へ

中田宿は江戸から十四里三十二町(58.5km)・栗橋宿から十八町(2.0km)、人口約400人、総家数約70件(本陣×1・脇本陣×1・旅籠6)を有する日光街道で8番目の宿場町です。

利根川の対岸にある栗橋宿からの距離は2kmと近いのですが、当時は利根川河川敷500mにわたって、本陣・問屋・旅籠・茶店などが軒を並べていたそうです。現在の中田宿は、利根川の河川敷になってしまい跡形もありません。

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古河宿から野木宿へ

日光街道自転車旅2日目です。
今日は古河宿を出発して日光街道の終点である日光・鉢石を目指します。

昨日の夕方は激しい夕立にやられて古河宿を全く見ていないので、まずは古河探訪から始めたいと思います〜

古河宿は江戸から十六里二十町(65.0km)・中田宿から一里二十四町(6.5km)、人口約3800人、総家数約1100件(本陣×1・脇本陣×4・旅籠31)を有する日光街道で9番目の宿場町です。

江戸時代には古河藩の城下町として栄えた町ということで、古河歴史博物館を始め歴史的な寄り道スポットが沢山あるみたいなので、ゆっくり散歩してみたいと思います。

が、後ほどこの散歩が大きな後悔を生むことになりますw

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野木宿から間々田宿へ

野木宿は江戸から十七里十三町(68.2km)・古河宿から二十九町(3.2km)、人口約500人、総家数約100件(本陣×1・脇本陣×4・旅籠25)を有する日光街道で10番目の宿場町です。

野木神社の周りに住んでいた人々が移住して野木宿となったといわれていますが、もともと小さな宿場だったため今ではその跡はほとんど残っていません。

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間々田宿から小山宿へ

間々田宿は江戸から十八里三十四町(74.4km)・野木宿から一里二十一町(6.2km)、人口約1000人、総家数約180件(本陣×1・脇本陣×1・旅籠50)を有する日光街道で11番目の宿場町です。

距離にして江戸から日光のちょうど中間に当たる宿場で、芭蕉はこの地に2泊したと言われています。

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小山宿から新田宿へ

小山宿は江戸から二十里二十三町(81.1km)・間々田宿から一里二十五町(6.7km)、人口約1400人、総家数約420件(本陣×1・脇本陣×2・旅籠74)を有する日光街道で12番目の宿場町です。

田原藤太秀郷が平将門追討のためにここに城を築いたといわれ、宿場町として栄える前は秀郷の子孫である小山氏の本拠地で小山城の城下町として賑わっていたそうです。

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新田宿から小金井宿へ

小山宿は江戸から二十一里三十四町(86.2km)・小山宿から一里十一町(5.1km)、人口約250人、総家数約60件(本陣×1・脇本陣×2・旅籠11)を有する日光街道で13番目の宿場町です。

昔は日光山・赤城山・太平山などの眺望が良かったといわれていますが、今は工場等が立て込んでて当時の面影はありません。

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小金井宿から石橋宿へ

小金井宿は江戸から二十二里二十八町(89.4km)・新田宿から二十九町(3.2km)、人口約770人、総家数約170件(本陣×1・脇本陣×2・旅籠43)を有する日光街道で14番目の宿場町です。

その昔、宿場の西側にある黄金が取れという伝承から金井村と呼ばれ、宿場として移転した際に「小」の字をつけて小金井となったといわれています。

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石橋宿から雀宮宿へ

石橋宿は江戸から二十四里十町(95.3km)・小金井宿から一里十八町(5.9km)、人口約400人、総家数約80件(本陣×1・脇本陣×2・旅籠30)を有する日光街道で15番目の宿場町です。

かつては結構繁盛した宿場だったそうですが、今はちょっと寂しげな感じ。

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雀宮宿から宇都宮宿へ

雀宮宿は江戸から二十五里三十町(101.4km)・石橋宿から一里二十町(6.1km)、人口約270人、総家数約70件(本陣×1・脇本陣×1・旅籠38)を有する日光街道で16番目の宿場町です。

宿場の名前の元となった雀宮神社は、奥州に流され亡くなった藤原実方の霊が雀となって都に帰ったことから名付けられたといわれています。

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宇都宮宿から徳治郎宿へ

宇都宮宿は江戸から二十七里三十町(109.3km)・雀宮宿から二里(7.9km)、人口約6500人、総家数約1200件(本陣×2・脇本陣×1・旅籠42)を有する日光街道で17番目の宿場町です。

古くから日光街道一番の宿場町といわれ、将軍の日光参詣の宿泊地&日光街道と奥州街道の分岐点として栄えたそうです。

市街地にはかつて広大な宇都宮城が建っていましたが戊辰戦争によって大半が破壊され、その土地の多くは市街地となっています。現在、本丸の一部が残されており御本丸公園として整備されています。

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徳次郎宿から大沢宿へ

徳次郎宿は江戸から三十里十二町(119.1km)・宇都宮宿から二里十八町(9.8km)、人口約650人、総家数約170件(本陣×2・仮本陣×1・脇本陣×3・仮脇本陣×1・旅籠72)を有する日光街道で18番目の宿場町です。

下徳次郎、中徳次郎、上徳次郎の三宿を合わせて徳次郎宿といわれ、当初は上徳次郎村だけでしたが、中徳次郎、下徳次郎、その他の村ができ徳次郎六郷となったといわれています。

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大沢宿から今市宿へ

大沢宿は江戸から三十二里十二町(127km)・徳次郎宿から二里(7.9km)、人口約280人、総家数43軒(本陣×1・脇本陣×1・旅籠41)を有する日光街道で19番目の宿場町です。

もともと大沢村であったところ日光街道ができたときに大沢宿としたところで、度重なる大火のせいで宿場の面影を感じさせるものはほとんどありません。。。

かつて宿場であったところも今では普通の住宅街になっていて、スルッと素通りしてしまいました(笑)

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今市宿から日光・鉢石へ

今市宿は江戸から三十四里十三町(134.9km)・大沢宿から二里(7.9km)、人口約11100人、総家数240軒(本陣×1・脇本陣×1・旅籠21)を有する日光街道で20番目・日光までの道のり最後の宿場町です。

日光街道・日光例幣使街道・会津西街道の合流地点であり古くから交通の要所として賑わった宿場です。もともとは今村と呼ばれていましたが宿場となって次第に市場として盛り上がってきたため今市と改め、毎月1,6の日を市の日と定めていたそうです。

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日光東照宮

日光街道を自転車で走った際に最後の最後で日が暮れてしまい見ることができなかった日光東照宮、いつか機会があったらゆっくり見て回ろうと思っていたのですが、伊東園ホテル 川治温泉一柳閣本館に泊まりに行った際に立ち寄ってみることにしました。

なので、このレポートだけは日付が異なりますが日光街道の目的地であり徳川家康を祀った神社「日光東照宮」の様子を追記しておこうと思います♪

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番外:久能山東照宮

日光街道とは関係ありませんが、日光街道の目的地である日光東照宮と関わりの深い久能山東照宮を見る機会があったので、番外編として書き足しておこうと思います。

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