吉原〜山谷地区のディープなスポットを巡る

吉原〜山谷地区のディープなスポットを巡る江戸時代から現代まで「男の極楽」として知られる吉原、日本一のドヤ街で有名な山谷など、東東京のディープなスポットを巡るサイクリングです

走行日 2008年6月 7日(晴)
走行距離 10 km
使用した愛車 A-RIDER(A-bike)
コース概要 JR日暮里駅→旧音無川→善性寺→尾久橋通り→西蔵院境外仏道不動堂→三の輪橋→浄閑寺(投げ込み寺)→新吉原総霊塔→土手通り(日本堤)→見返り柳→吉原大門→吉原→吉原神社→廿世紀浴場→土手の伊勢屋(昼食)→山谷堀公園→竹屋の渡し跡→台東商業高校(弾左衛門邸跡)→山谷地区→泪橋→延命寺・首切地蔵(小塚原刑場跡)→回向院→HOTEL丸忠CLASSICO

日本一のドヤ街として知られる山谷。
日雇い労働者の街として知られ、フリーダムなおじさま達が、日夜、路上で宴会やら喧嘩やらを繰り広げているという、普段の生活ではちょっと体験できない異色の街です。

そんな山谷には、古くから日雇い労働者向けの簡易宿泊所が多数あり1泊800〜2000円という格安(?)な価格で営業していたのですが、昨今の労働者人口の減少により利用する人が減ったため街もだいぶん様変わりしているそうです。

そこで登場しつつあるのが、一般向けの格安ホテルです。
(→楽天トラベルで「南千住」って入れると、あら不思議。格安ホテルのワンダーランドw

山谷というと「格安だけど汚い」というイメージなんですが、最近登場してる「高級」ホテルは全面リニューアルのおかげでかなりキレイで、出張のビジネスマンや受験・就職活動の学生、コミケに繰り出してくる皆さんなどに静かなブームになっているそうです。

僕は埼玉県民ですから、わざわざ都内に止まる必要はないのですが・・・
友人とアレコレで・・・、何故か山谷のホテルを体験することになってしまいました(笑)

せっかく行くなら自転車に乗って「周囲の雰囲気」も満喫しちゃおう♪
と思って調べ始めたら、この近辺は予想以上にディープな街であることが分かりました。

普段はキレイな景色とか歴史ある建物とか美味しいグルメとか満喫なのですが、今回は歴史の裏側に隠れたダークな部分を垣間見るツーリングです。

なので、いろんな意味で「不快」に感じる部分があるかもしれません。
極力、様々な誤解の無いよう、また、怖くならないよう書こうと思いますが、覚悟の上この先に進んでくださいね・・・(怖)

今回のコースは、JR王子駅付近で石神井川から分かれて吉原方面に流れていたという「音無川」の流路に沿って三ノ輪方面へ向かい、吉原の遊女に関わる悲しい歴史のある投込寺、現在の吉原のそれも裏道を見た後、山谷方面へと向かい、最後は江戸時代に20万人もの人が処刑されたという小塚原刑場跡に巡るという、フルコース。。。

では、覚悟の決まったところでJR日暮里駅から出発です!
本来「音無川」はJR王子駅から流れているのですが、上流部は線路となっているので、走りやすいJR日暮里駅からスタートします。 音無川の流れは駅前の商店街になっており、今ではその面影を感じさせるものは残されていません。 流れは幅の広い尾久橋通りに合流した後、再び分かれて裏道へと進んでいきます。

音無川は「石神井用水」と呼ばれた用水路ですが、昭和9年に埋め立てられてしまったため現在ではその面影を見ることはほとんどできません。

その流れは、JR王子駅前を流れる石神井川から分水し現在の京浜東北線に沿うように流れた後、日暮里駅から先は台東区と荒川区の区境に当たる部分を蛇行して流れていたそうです。

区境が変な形をしているときは、概ね失われた川が隠されているから面白いですね♪

とはいえ、早くから埋め立てられてしまったため遺構は残されていないので、「ここに川があったのかもなぁ」と妄想しながら走ります〜
御形の松
途中にあった西蔵院境外仏道不動堂には、昔この地にあった有名な松の木の根が保存されていました。
西蔵院境外仏道不動堂
お堂の中には、御形の松を使って彫られた不動明王蔵が祀られているそうです。
流れは住宅街の中を細かく蛇行するように進んでいきます。
東日暮里4丁目付近では住宅街の中を蛇行するように進んだ流れですが、日暮里中央通りに合流してから先は緩やかにカーブを描きながら北向きに流れ三ノ輪方面へと向かいます。
古い門構えと一体化したマンション「ラフォレ根岸」。かつてのお屋敷を潰してマンションにしたのでしょうか? 三ノ輪付近はお祭り(天王祭)の直後だったらしく、アチコチにこんな提灯が飾られていました。 本日初めての音無川を感じさせるスポット「三の輪橋」〜

三の輪橋は、音無川と日光街道が交差する場所に架かっていた橋で、江戸時代には、江戸市中と外を分ける場所でもあったそうです。

そんな三の輪橋のすぐ東側に建っているのが浄閑寺。
別名「投げ込み」と呼ばれるお寺です。

江戸時代、吉原にいる遊女の多くは様々な事情で「人買い」に売られてきたそうです。
(一部の人買いは誘拐などもしていたそうです・・・)

遊女の年季は10年といわれますが、性病を始めとする病気に掛かるものも多く、生きて吉原から出られる人はほんのわずかだったという話です。(遊女の平均寿命は22才くらいだったそうです)

人買いによって売られてきた女性達は基本的に身寄りが無く、亡くなったときに死体の引き取り手はいません。
働いていた遊郭がきちんと埋葬してくれるわけでもなく、遺体は浄閑寺の門前にある四角い穴に投げ込まれたそうです。

だから投げ込み寺・・・

当時、太夫として名を成した一部の遊女を除いては「人にあらず」と、犬猫と同じ扱いだったというから悲惨な話。。。
浄閑寺の記録に残っているだけで二万数千体が投げ込まれたと言われています。
現在は、そんな暗い歴史を感じることはない浄閑寺。境内には、有名っぽい人のお墓もあるらしいのですが案内が出ていないため、どれだか分かりません。。。 投げ込まれた遊女達の霊を弔うために立てられた新吉原総霊塔。写真手前の石版には「生れては苦界 死しては浄閑寺」という花又花酔の詩が刻まれています。 総霊塔の脇の覗き穴から覗いてみると、中には遺骨を納めたと思われる骨壺がたくさん積まれていました。。。
浄閑寺には、新吉原総霊塔の他にも、この地域ならではの様々なお墓や供養塔があります。
萩原秋巌の墓&新比翼塚 ひまわり地蔵尊
山谷で働いて一人寂しくなくなった方達を弔うために立てられたというお地蔵様です。
そんな歴史の暗い側面を宿す浄閑寺の片隅では、猫が気持ちよさそうに寝ていました。

いや〜、しょっぱなから重〜いネタでしたね。。。

さて、日暮里駅から流れと共に走ってきた音無川は浄閑寺のところで南東へとその向きを変え、現在の「土手通り」を流れていきます。

土手通りという名前が示すとおり、かつてこの場所には土手が築かれていて「日本堤」と呼ばれていました。

この日本堤の役割がまた面白い。

現在の荒川の流れは江戸時代に人工的に掘られたものです。
それより前の荒川は現在の隅田川を流れており、蛇行する流路はたびたび氾濫していました。

そこで上流部で起こった水害から浅草以南の江戸市中を守るために造られたのが日本堤です。
上流部を犠牲にしても江戸を守るという割り切りがスゴイです(汗)

もっとも当時のこの付近は低湿地帯であったということなので人は住んでいなかったのかもしれませんが・・・
日本堤は二本の平行する堤で、その間を音無川が流れていたそうですが、現在ではわずかな高低差があるだけで、ここに堤があった様子はうかがえません。 かつての日本堤に沿って走っていくと、またお祭りの準備中でした。この付近の寺社で一斉にお祭りをしているのでしょうか? 土手通りにある交通安全看板には「歩行者の寝込み飛び出し横断に注意」と書かれています。

飛び出しと横断はいいとして、寝込みにまで注意しなければいけないとは流石は山谷です(笑)

ちなみに、山谷の住人の皆様の横断方法は実にフリーダムなもので、「信号など無きがごとし」です。
年輩の方が信号はおろか横断歩道も一切無視で、車道をヨタヨタと渡っているので初めて見たらびっくりしますよ・・・

そんな土手通りをしばらく走ると、ガソリンスタンドの前に小さな柳の木が立っているのが目に入ります。

ここはかつて吉原への唯一の出入口があった場所で、先ほどの柳は吉原に遊びに来た客が帰り際に後ろ髪を引かれ、遊郭を振り返ったという謂われから「見返り柳」と呼ばれています。
現在は大きな通りのガソリンスタンドの前にこぢんまりと建っている「見返り柳」 古くは「吉原大門」がたっていたという場所ですが、現在は質素な門柱があるのみです 吉原の。それも裏路地を探検にGO!

華やかな色街として知られた吉原ですが、その全てが煌びやかだったわけではありません。
現在でもそうですが。。。美人が多くて高級なお店から少々アレだけどリーズナブルなお店までいろいろあったそうです。

江戸時代の吉原は、周囲に「お歯黒溝(どぶ)」と呼ばれるお堀が廻してあり外界と隔絶された土地になっていました。
その土地の中心を通る「中之町通り」の周囲には高級なお店が並び、外周にあたるお歯黒ドブの近辺にあるのが、リーズナブルなお店でした。

リーズナブルなお店には、病気や年齢的な問題でメインのお店で働けなくなった女性が働いていて、敷地南側の「羅生門河岸」では、一度入った客を逃がさないように袖を引きちぎらんばかりの勢いで呼び込んだことからこの名が付いたとか・・・

想像すると、すっごい世界だ(笑)
かつてお歯黒ドブが流れていた場所は花園通りとなっています。 羅生門河岸であった場所
今でもソープが並んでいますが、ここが高級なのか安いのかはよく分かりません。ウロウロしていると店員さんが寄ってきて引き込まれそうなので早めに退散w
花園通りには、産婦人科&性病科の看板を掲げる病院も。確かに必要なのかもしれない。
ソープの看板が目に眩しい吉原ですが、裏道の風景はなかなかに強烈です。

「こんな裏道的な場所なかなか無いぞ・・・」と思うほどに。
新しいキレイなお宅もある一方、人住んでるのか?と思うほどのボロボロのアパートがあったりして、世の中の明暗を眺めている気がします。

西側のお歯黒ドブ沿いには、現在はお店は全くなくて住宅地となっていました。 吉原の西端に建つ吉原神社。
ここはかつて吉原の四隅に建っていた稲荷を合祀して造られた神社ということで、吉原全盛の頃はありませんでした。
吉原神社の中には、各時代の吉原の様子を表す地図が貼ってありました〜
テナントがいないのか、もともとは店舗と思われる1階部分を無理矢理駐車場にして活用中・・・ 北側には真新しいワンルームマンションが建っていました。この他にも吉原内に大きなマンションがあったりして微妙にドキドキだ(笑) 中之町通りに入ろうとすると、お店の入口から呼び込みの方がチラホラ出てきたのであわてて待避。。。

吉原の裏道探検はなかなかスリリングだった(笑)
いや、別に怖がる必要はないんですが。。。

と、ここで思い出したのですが、この近所に廿世紀浴場というちょっと変わった銭湯があったはず。
たしかちょっと前に営業停止してしまったと聞いてたのですが、建物はまだあるかなぁと見に行くことにしました。
廿世紀浴場
モダンな洋風建築が斬新な銭湯で、廿世紀と書いて二十世紀と読みます。
昭和4年に建てられたという、直線と円弧を組み合わせたアールデコ様式の建物は、普通に見たら銭湯には見えませんね〜 しかし、カッコイイのは表だけで裏は結構雑多な感じだったりもします(笑)

さすが下町、面白いものが山盛りです(笑)

廿世紀浴場のちょっと南側には「いろは通り」という商店街があるのですが、山谷地区のど真ん中から延びる商店街だけあって、おじさま達が道端で宴会したり、睡眠したりとフリーダムな光景を見ることができます。

いつも写真を撮りまくっている僕ですが、さすがにカメラを構える勇気はなく・・・(汗)

さて、そんなことをしている内に11時になりました。
今日のお昼スポットは、東京で最も旨い天丼屋と噂される「土手の伊勢屋」です。開店は11時半なのですが、行列必至といわれるお店なので早めに行くことにしましょう〜
土手の伊勢屋
東京大空襲の際にも奇跡的に燃え残ったというレトロな建物。人気店なので開店30分前だというのに10人ほど並んでます。開店時には倍以上に伸びてました・・・
店内は全部で30席くらいでしょうか?裸電球だけの薄暗い店内は、レトロな雰囲気が暖かい感じがしますね〜 天丼(ロ):1900円+お吸い物150円
何が旨いって、アナゴの天ぷらが驚くほど旨い!今まで食べてたのは何だったのかと思うほど〜♪

土手の伊勢屋の天丼は、イ(1400円)・ロ(1900円)・ハ(2300円)の三種類があるのですが、僕お薦めのアナゴ天が付くのはロ・ハだけです。たまたまご一緒したご婦人の話によると、ハに入っている芝エビのかき揚げもかなりの絶品らしく、次の機会にはハを食べてみたいところです♪

天丼を食べて、「これは!」と思ったのは生まれて初めてかも。
さすがに都内で最も旨いと言われるだけのことはありますね〜

さて、お腹もいっぱいになったことだし再び音無川を下っていきたいと思います。
と、実はここから先、音無川は山谷堀と名前を変えます。(理由はよく分かりません)
土手の伊勢屋の裏手は緩やかな下り坂になっていて、この場所が土手の上であったことが伺えます。 日本堤に沿ってさらに南に進んでいくと、地方橋交差点のところで、初めてかつての山谷堀の痕跡を発見!ここから先は交差点ごとに橋の欄干が残されています。 地方橋から先の山谷堀跡は、山谷堀公園として整備されています。公園内には山谷のおじさま達が思い思いに暮らしており、ほのかな香りが漂っています(笑)

山谷堀公園では、自由気ままにゴロゴロしているおじさま達のすぐそばを、こぎれいな子犬を連れた若い女性が通り過ぎたりしていて、地元の人ではない僕にはちょっとセンセーショナルな感じです。

とはいえ、地元の人にとってはこれは普通のこと何でしょうね〜

なーんて考えながら走っていたら事件が発生・・・
正岡子規の歌碑
「牡丹載せて今戸へ帰る小舟かな」と刻まれています。
そして2度目のペダルクラッシュ!
今度は根本から心である鉄の部分がボッキリ折れました(T T)
パチモン品質怖い。。。
台東商業高校の隣には、傷心の僕を慰めるかのように、女性の銅像が建ってました〜

いや〜、自転車仲間の「ふみまろさん」から頂いたパチモンA-Bike2号ですが、その初回ツーリングで早くも破損です。
大事に乗ろうと思ってたのに、ふみまろさんスイマセン。。。

でもですね、平地をゆっくりのんびりと走ってただけなのですよ、ホント(笑)

以前A-Riderが破損したときとは違って、今回はペダルの根本から折れてしまったため乗車することは完全に不可能です。仕方ないので、ここから先は自転車を押しながら歩いて進みましょう。
山谷堀は、言問橋の北側で隅田川に合流して終了となります。合流ポイントの手前にはこんなキレイな噴水もありました。 合流付近には「竹屋の渡し」があったそうです。 こちらが暗渠となった音無川→山谷堀が隅田川に合流するポイントです。

かつての山谷堀は吉原に向かうルートの一つで、猪牙舟を仕立てて隅田川から吉原に向かうという贅沢なお大臣遊びも盛んだったそうです。

さて、音無川の流れに沿ってここまで走ってきました。
音無川はここで終了なので、ツーリングの終盤は旧奥州街道である都道464号を北上しつつ、最終目的地である山谷方面へと進みます。

この付近には、江戸時代に非人の頭領であった「弾左衛門」の屋敷がありました。
非人とは、江戸時代の被差別民のことで、弾左衛門は関東八州の被差別民を統括する権限を持っていたそうです。

こういった話を聞くと「虐げられた人々」というイメージを持ちますが、彼らには皮革加工や竹細工等の独占販売権が認められており、そのおかげでかなりお金持ちだったそうです。

この辺りの話も、調べていくと歴史の真実を垣間見る非常に面白いネタなのですが、書くと長くなるのでこの辺で(笑)
公園内でふと見上げると、桜の木に「さくらんぼ」が成っていました。ちなみにおじさま達が収穫してたりもしますw 江戸時代、非人の頭領であったという「弾左衛門」の屋敷があった跡地には台東商業高校が建っています 山谷エリアの中心に近づくと、昼間からアチコチで宴会が開催中(笑)こちらは小さな飲み屋が軒を連ねている場所です。

いやぁ、山谷近辺は道端で宴会が開催されたり、オジサマが寝ころんでいたり、時に叫び声があがったりと、慣れない僕にはドキドキの連続です。

友人達と一緒とはいえ、ホントにここに泊まるのか・・・(汗)

いろいろセンセーショナルな光景を見たのですが、写真を撮る勇気はなかったりして山谷ネタはサラッと流してしまいましょう。

さて、本日のツーリングの最後を締めくくるのは、ちょっと怖い話。

時代劇を見ていると時々「打ち首獄門」なんて台詞が出て来るじゃないですか?
打ち首なんて想像しただけでも怖いですが、かつて江戸近辺にはいくつかの処刑場があり、その中でも大きなものが東海道沿いにあった鈴ヶ森刑場と奥州街道沿いにあった小塚原刑場です。

そうです。
最後の寄り道スポットは、そのうちの一つ「小塚原刑場」ですよ〜
矢吹丈(あしたのジョー)が丹下段平にボクシングを習った「丹下拳闘クラブ」があったのは、ここ泪橋。今は思川は埋め立てられて面影はないけど・・・ 歩道橋で線路を渡って、東京メトロ日比谷線とJR常磐線の線路の間に降りると・・・ 二つの線路の間に延命寺がありました。
丹下段平は言った。

この橋はな、人呼んでなみだ橋という
いわく人生にやぶれ生活に疲れはててこのドヤ街に流れてきた人間たちがなみだで渡る悲しい橋だからよ、と。

泪橋の由来にはいくつかの話がありますが、これから向かう小塚原刑場と関わる話が一般的なようです。
処刑場に運ばれる囚人達がもう二度と戻ることのできないこの橋で、泪を流したと・・・

泪橋の交差点を渡り南千住駅の方へ向かい歩道橋で線路を渡ると、かつて小塚原刑場があった場所です。
小塚原刑場は現在の日比谷線南千住駅の西側にあり108mx54mの大きさだったのですが、常磐線の工事の際に分断され、その南側が延命寺、北側が小塚原回向院となっています。

つまり、常磐線は刑場の上を・・・

延命寺にはかつての刑場の様子を書いた案内があるのですが、これが怖い!

その遺体は非人頭に下げられ境内に打ち捨てとなった。故に埋葬とは名のみであって土中に浅く穴を掘りその上にうすく土をかけておくだけであったから雨水に洗われて手肢の土中より現れ出ること等決して珍しくなく特に暑中の頃は臭気紛々として鼻をつき野犬やいたちなどが死体を喰い残月に蠢く様はこの世ながらの修羅場であった。

うわぁ、怖い、怖すぎる!
そんな延命寺では、20万人もの人が処刑されたと言われており、狭い場所でこれほどの人が殺された場所は、あまり無いのではないかと・・・ 延命寺の境内には高さ4m程の「首切り地蔵(写真左)」があり、その周りにはたくさんの変わったお地蔵様がありました。 一体だけ朽ち果てているお地蔵様もあったりして、いろんな意味で怖いです〜

ちなみに、先に非人頭の「弾左衛門」のことを書きましたが、かつての被差別部落と小塚原刑場が近所にあったのは偶然ではありません。

仏教では人や動物の「死」は穢れとされており、その穢れが人々に及ぶのを防ぐために「非人」を設け、穢れに関わる職業を彼らに押しつけていたと言うことです。宗教に関わる理由で差別が行われていたという矛盾は見逃せませんね〜
分断された小塚原刑場の北半分にあたる回向院。延命寺と違ってかなりキレイに整備されたお寺です。 入口には、戦後の代表的な誘拐事件「吉展ちゃん事件」の供養のために建立された「吉展地蔵尊」が建っていました。 解体新書の翻訳にあたり、杉田玄白らが小塚原刑場で腑分を見学に来たことが記されている石版もあります。
江戸末期のの処刑場ということで、境内には安政の大獄で処刑された吉田松蔭、臣相馬大作、関良助、梅田雲濱、頼三樹三、瀧本伊能子や鼠小僧次郎吉等有名盗賊の墓など歴史的な見所が沢山あります。
腕の吉三郎、鼠小僧次郎吉、高橋お伝、片岡直二郎の墓 吉田松蔭と他の志士たちの墓などがあるのですが、歴史に詳しくないとイマイチよく分かりません。。。 駅前ではまたお祭りが開催中でした。
ちょっとディープなネタ満載のツーリングでしたが最後はお祭り気分で締めくくりましょう。

なんというか。。。
学校では習うことのない歴史の裏側をちょっとだけ覗き見するツーリングでした。

江戸〜東京は日本の中枢であり、そして多くの人が住んでいて、昔から様々なことが起こっていたのだなぁとしみじみ感じます。

そんなことを考えながら、本日の宿泊地となる「ホテル丸忠CLASSICO」へと向かい、本日のツーリングも終了となりました〜
 
この記事へのコメント(5件) |コメント入力欄へ
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羽ぴょん |2008年6月12日 08:52返信

朝からディープな世界を垣間見させていただきました・・・
江戸時代の身分制度に関してコメントをクダクダ書き連ねると検索エンジンに引っ掛かって、某団体の書き込みがあっても困るので控えさせていただきますが、”宗教に関わる理由で差別が行われていたという矛盾〜”の部分ですが、江戸時代には宗門人別帖というものが有って、キリシタンでないことの証明として寺の檀家に必ずならされていたようです(誤った解釈かもしれませんが)まぁそこで一種の身分の保証のようなものをしていたようですね・・・
件の身分の方々の場合はこの人別帖に記載されず、弾左衛門の管理化にあったようです・・・

千住の延命寺(回向院の方が通りが良いようです)は開発で分断されたようですが、かってはもっと広かったようです・・・更に刑殺場100m×50m程度の広さもあったようなので今の寺の姿からは想像もつかないようです。

五街道の2つに刑殺場を設けたのは江戸幕府の思惑だったそうですが、いずれ鈴ヶ森方面のレポートもされるのかな?と期待しております。
(長文失礼しました)

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かめねこ |2008年6月12日 14:49返信

自転車関係じゃなくて江戸の暗黒面もとても興味深いですね
霊感の強い人なら、何か連れて帰ってしまいそうですが
inaさんは帰ってから肩が重いとか首が廻らないとかはないの?
(ペダルのクラッシュは何かの祟り?)

江戸の暗黒面ポタ第二弾があるなら誘ってください
(塩持ってかないと)

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ina@管理人 |2008年6月12日 19:23返信

>羽ぴょんさん
おー、なるほど。やはり宗教と政治は密接に結びついているんですね(笑)

実は、そもそも今回のツーリングは、大井競馬場に行った際に鈴ヶ森刑場を見たのがきっかけだったりして。。。

>かめねこさん
江戸はたくさんの人が住んでいただけあって、暗黒面も豊富みたいです(汗)
有名な刑場だけで後二つ、その他牢獄や他の投げ込み寺なども・・・

次に走るときには暗黒面に誘わせていただきますよw

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ちか太郎 |2008年6月14日 22:05返信

こんばんわ〜私にとっては近くて遠い場所です

もともと、その辺の道路整備が遅れていて最近通り抜けしやすくなりました

都心からとても近く最近では綺麗なマンションが一杯出来ています

都立航空工専が産業技術工専になってる〜〜〜〜〜

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ina@管理人 |2008年6月14日 23:52返信

>ちか太郎さん

こっち方面にお住まいですか?
この近辺には七福神巡りもあるし、浅草もあるしでポタには最高の環境ですよね♪

土地柄がアレなだけで都心からとても近いし、結構いい場所ですよね(笑)

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